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一理に達すれば万法に通ず

子曰く、退屈な人生に進歩はない!(by ウイリー) ことわざを笑う者は諺に泣く。論語を読む。

2021/01/13 12:00 テーブルウェア 子ども 趣味 くらし
https://www.youtube.com/watch?v=nNS4utJDb8s

★ご存知ない方に説明すると「子曰く、」というのは、アニメ「みつばちマーヤの冒険」のサブキャラクター、ウイリー(cv野沢雅子)の口癖であり、『論語』の中に度々登場する「孔子(先生)はおっしゃいました、」という枕詞のような言葉です。

★ちなみにマーヤの声は、しずかちゃん(cv野村道子)でした。


 多くの寓話やフィクションの世界で描かれる人物像と、孔子の『論語』などの古典哲学を知れば、正しい大人がどうあるべきかがちゃんと分かります。私のように生まれつき短気な性格でも、長い年月をかけて努力をすれば、少しずつはマシな人間になって行きます。それさえしようとしない人間は、無知か愚か者のいずれかでしょう。

 今日は調子に乗って面倒臭い話を書きます。この先は個人的な妄想であり、勝手な私見です。もしお読みになる場合は、ざっくり眼を通すだけにするか、途中でそっとページを閉じて忘れてください。

 2018/08/05の記事を日付変更してお送りしています。


















 えっ、読むつもりですか。














 きっと、後悔しますよ。
















 孔子の『論語』にこんな言葉があります。


 (戒めずして成るを見る、之を暴と謂う)

 【意味】 注意を与えずに正しい成果を求めることを暴(むちゃ)という。


 生まれてから誰にも教えられてこなかったことを責められてもどうしようもありません。もし責められるべき人がいるとしたら、それは教育の機会を与えなかった大人です。

 だから子供には、悪いことを悪いときちんと教えなければいけません。もし大人がその悪い見本になっているなら本末転倒です。愚か者は子供に対してこう言います。「大人は良いんだ!」嘘つきの大人ほど始末に負えないものはない。子供のためにも、心を入れ替えなければ必ず報いを受けることでしょう。

https://www.mag2.com/p/news/224114

 昔の寺子屋では先述した論語のような訓戒を与えていました。今の学校教育では、ほとんど形式的なものしか残っていません。道徳や倫理社会の授業など、誰も真面目に聴きません。それは私たちの時代からそうでした。

 今は昔よりさらに学力の方が優先されていますから、たぶんほとんど形骸化していることでしょう。では道徳を子供に教える責任は誰にあるのでしょう。教えなくても勝手に親を真似て正しい大人になると考えるのは安易です。

 私たちより上の世代はどの家庭でも、躾には厳しかったと良く聴きました。

 それは最近事件化する「躾」という名の「虐待」のことではありません。


 話は少しそれますが、上の記事中の“狼少女”の話を読んでいて思い出したのは、ジョージ秋山の漫画とそのアニメ『アシュラ』です。

 ジョージ秋山の漫画『アシュラ』のあらすじ

 平安時代末期、飢饉によって屍が累々と横たわり、ある者達は人を殺して人肉を貪り食らっていた。その一人である妊娠した狂女は、やがて赤ん坊を産み落とす。狂女は「アシュラ」と名付けたその子をかわいがるが、やがて空腹に耐えかね焼いて食おうとする。その時、落雷によってアシュラは川に押し流され、岸に辿り着くも誰にも育てられないまま獣同然に生き抜く。

 ある時、人狩りに捕まり連れていかれた先で人間としての生活、仲間、愛情を知るが、生みの親と出会ったことで凄惨な出生の秘密、自分が決して家族との生活を過ごせないことを知り苦悩する。その地に見切りをつけたアシュラは、自分を慕う孤児達を引き連れ都を目指す。

https://www.youtube.com/watch?v=Ny7S349OI68


 地獄のような混乱した時代に、獰猛な野生児として育った主人公を描いた漫画『アシュラ』は当時社会問題になり、有害図書として糾弾されましたが、こういった暗い歴史の中の人間の昔の姿を覆い隠すということは、人の本質を子供に教えないということです。

 さらに同じような理由で、戦争の恐ろしさを描いた『はだしのゲン』のような作品を子供たちの眼に触れさせないようにしようとする動きもあります。今の社会は、一体どんな人間を育てようとしているのでしょうか。こういう方針はイジメを隠蔽する教育界の体質と同じものです。(かの有名な猟奇的犯罪者エド・ゲインは厳格な母親の教育によって倒錯者となった経緯があります…)


 人間の精神は限界に達すると理性を失い、本能に従うようになります。そんなことは滅多に起こらないと誰しも考えるので、そうなることを子供に教えないし自分自身も知らない。

 しかしこの20~30年で素人による凶悪犯罪が爆発的に増え広がった印象があります。そして彼らに一様に感じるのは、精神の限界に達して理性を失った人間の姿です。職務の重責と過労から自殺する人も、じつは同じ理由だと考えます。それを理解すれば、そうなる前に解決策もあるはずです。

 しかし今の社会は「臭い物に蓋をする」という安易な選択肢を選びます。いくら死体を隠したところで、いつか必ず見つかるというのに。腐り果て骨と化した呪いは、いつか蓋をした者たちに還ってくることでしょう。


https://www.nishinippon.co.jp/item/n/435349/

 上記のような事例が紹介されると、多くの人が「自己責任」論を振りかざします。そういう人は、自分には一切関係ないと確信するから批判できるのでしょうが、事故や事件は誰の身にも起こり得ることで、他人事のように軽んじていると自分が同じ目に会うことでしょう。

 これは子供に道徳や人間哲学を教えず、ただ生のまま自由に育てた結果の一例だと思いますが、そうならない人の方が圧倒的多数だとは思います。

 しかし、現代人から良心や罪悪感という習性が失われつつあることは事実です。


 30年近く前、置き傘や自転車盗難が日常的に増えるようになった頃、今の素人犯罪が増える時代への危惧を覚えましたが、その悪い予想は当たってしまいました。犯罪増加を外国人のせいにする人がいますが、予兆は30年も前から始まっていました。

 “嘘つきは泥棒の始まり”という諺がありますが、今では“泥棒は殺人者の始まり”という続きを加える必要もありそうです。ただの強盗は皆無で、ほとんど強盗と殺人がセットになっているからです。


 宗教の戒律によって、現代の常識から外れるようなこと(輸血拒否など)や、狂信的なテロリストたちは恐ろしいと感じますが、しかし宗教観は古来から社会のモラルを安定させる役割を担ってきました。

 あまりに自由な生き方をしてきたせいで、冠婚葬祭や親族の付き合いも薄れてしまっている自分が言うのもなんですが、そういった昔からの習慣やしきたりが犯罪を抑止してきたことも間違いないと思います。


 だからその枷から外れつつある今の社会は、原始的な価値観(例として:目には目を歯には歯を・ハンムラビ法典)へ回帰していくような気さえします。異文化の合流や格差社会による貧困の助長も、それを促しているのかも知れない。それを恐れて、差別や閉鎖的な社会を求める保守的な人も多いですが、決して根本的な解決にはなりません。すでに問題は社会に根ざしているのですから。

 罪を憎んで人を憎まず

 『孔叢子』刑論にある孔子の言葉「古之聴訟者、悪其意、不悪其人(昔の裁判所では訴訟を取り裁くとき、罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかったの意味)」から。

 「憎む」は「悪む」とも書く。

 聖書(ヨハネ福音書8章)にも「罪を憎んでも人を憎まず」という言葉があり、孔子の「罪を憎んで人を憎まず」と同じ意味と解釈される。


 個人的には必ずしも死刑廃止論者ではないですが、殺人は死をもって償えという風潮は、イスラム原理主義者たちに近い価値観であることを理解していない人は多いと思います。つまり文化的な視点や精神論から考えれば、それは人間の退化です。

 そんな屁理屈より感情論を優先するというのも、やはり人より猿に近くなることですが、最近の世論は「極刑でお願いします(細かいことはどうでもいいから、さっさとそいつをぶっ殺せ!)」というわけです。

 一般の感情がそのようになっているくらいですから、本物の悪人による凶悪犯罪が増えるのも自明の理と言えるでしょう。だから、理性より感情を優先する風潮はやめた方が賢いと私は考えますが、多くの人はそう思っていないのが今の世の中です。


 こういった問題意識を国全体へ広げようと思ったら、政治がその危機感を持たなければなりませんが、未だに日本が世界で最も美しい国だと信じてやまない頭の中がお花畑の人に、それが伝わる日は果たして訪れるのでしょうか。

 私たちの老後に平和な日常が待っていることを祈ります。



 最後にこのバカみたいな話のオチとして誰にでも楽しめる解説書を2冊。

 「論語」や「菜根譚」は宗教の経典ではなく中国の古典的な哲学書です。ことわざの原点のような格言が沢山列挙され、解説が書いてあります。人物像や歴史云々のところはすっ飛ばして読めば良いのです。

 この二人の解説はとても読みやすくて為になります。現代の安っぽい自己啓発本より遥かに人生の役に立ちます。ちなみに「論語の読み方」は高校生の時に読んでずっと手元に置いてあります。残念ながらあまり活かせなかったようですが(笑)。


 ネットにも同様の解説は見つかります。参考までに。

▼漢文と口語体の下にある「続きを読む」をクリックすると解説が読めます。

http://www.saikontan.net/choyk/
https://hinemoto1231.com/reading/rongo_meigen



 無知(むち)の知(自分が何も知らないということを知るべし)

 自らの無知を自覚することが真の認識に至る道であるとする、ソクラテスの真理探究への基本になる考え方。

 孔子は『論語』の中で、人としての有り様を死ぬまで学びつづける必要があると説いていたことと被ります。このように偉大な哲学者・賢人たちの言った言葉や、聖書や仏教のように長い間社会との関わりを続けてきた宗教の考え方には、共通する部分も意外と多いと思います。

 諺(ことわざ)は、そういった価値観の中から生まれ社会に浸透した言葉です。良いことも悪いことも両方知らなければ、人間は楽な方へ転ぶだけです。

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