2018/11/29の記事を日付変更してお送りします。
いろいろあって四分五裂していた四人は、最近になってようやく、何かのイベントで揃って現れたらしい写真をどこかで見ました。しかしさすがにもう再結成して活動する年齢ではないだろうし、お金に困ってもいないでしょう。新曲の噂はあったようですが…?
今現在は、YOUTUBEにあるABBAの公式チャンネルで、有名な曲の多くがPVとして視聴可能になっています。
ABBA(アバ、スウェーデン語発音: [²abːa])は、アグネッタ・フォルツコグ、ビョルン・ウルヴァース、ベニー・アンダーソン、アンニ=フリッド・リングスタッドによってストックホルムで結成されたスウェーデンのポップ・グループである。彼らは1974年から1982年まで世界中の音楽チャートで首位を獲得し、ポピュラー音楽界で商業的に成功したグループの1つになった。ABBAはイギリスのザ・ドームで行われたユーロビジョン・ソング・コンテスト1974に出場し、スウェーデン代表として初めて優勝した。(Wikipediaより)
二人の歌姫ばかりクローズアップされがちですが、アバの成功の大部分は楽曲を製作していた二人の男性の才能によります。たしかに女性二人のアイコンは彼らの人気の象徴だったことは間違いないですが、曲が良くなければここまで偉大な存在とはなりえませんでした。
バンドの活発な活動期に、アグネッタとビョルン、アンネフリーダとベニーは結婚した。彼らの人気が上昇しすぎたことから婚姻関係は微妙なものとなり、結局、1979年にアグネッタとビョルン、1981年にアンネフリーダとベニーはそれぞれ離婚した。これらの関係の変化は、グループの音楽に反映され、彼らの通常の純粋なポップ・サウンドとは対照的に、内省的な歌詞になっていった。(Wikipediaより)
私にとってのカリスマ・ギタリストだったリッチー・ブラックモアが好きだと公言していたように、私自身もアバのキャッチーなメロディーの数々はすんなり受け入れられました。
日本にも近い個性のバンドはあると思いますが、やはり東洋的な物の捉え方と西洋的な物の捉え方の違いによって、世界的に人気を得ることは簡単ではありません。もし同じ才能を持って欧米で生まれ育っていれば、有名になれたかも知れない人はいるかも知れません。
小さい頃に楽器を始めると、「絶対音感」は誰にでも会得できるという話を読んだことがあります。私も小学校でハーモニカや縦笛、ピアニカといった楽器を使った経験から、やはり低学年で最初に使ったハーモニカが一番身につきました。こういう感覚的な習練は、歳をとるほど身につかなくなるということは実感できたような気がします。
なにしろピアニカが家に残っていることを、つい先日発見したばかりです。一番最後に習ったことを忘れていたのは楽しくなかったということですね。
家がそれほど裕福でなかったこともありますが、習い事で勧められたのは「そろばん」くらい。弟は「そろばん」は馴染まず「剣道」をやりました。私も習ったらどうかと言われましたが、少年時代は本当に運動が嫌いだったので断りました。今も運動は決して得意ではありませんが、時代劇や剣豪小説を読むようになってから、剣道をやっておけば良かったと思いました。
たった10年の間に色々あって少々老け込んだ印象の4人(1983年)。
まあこれは私自身の心の声とも言える歌ですね。なんとなく、好きな映画『サウンド・オブ・ミュージック』に通じるものを感じます。
この記事で取上げた曲は全て自分の好みで選んでいますので、たぶん皆さんにはそれぞれ好きな曲や思い出の曲があると思います。全ての曲は網羅していないと思いますが、以下が公式チャンネルです。
ご自分の思い出の曲を探してください。
同じスウェーデンだからなのか、この人の曲を連想させます。
(You Touch My Talala) 何を言ってるんだこの人は(笑)